思ったよりものどかなアメリカ



 佐賀大学大学院教育学研究科1年の納富晶です。佐賀大学からアメリカはペンシルベニア州のスリッパリーロック大学に、2013年9月から2014年5月まで交換留学をさせていただきました。


 
 学部時代はそれほどアメリカにも留学にも興味は無かったのですが、教授からの強い勧めと将来を考えて、就職後9カ月も留学する時間を取るのは難しいかな、とも考えたので留学を決意しました。やはり多少の無茶は若い時にするに限ると思います。行ってみて思いましたが、これほどの環境の変化に歳をとってから立ち向かうのは辛そうです。ボクの個人的な性格も多大に影響している訳ですが、なんだかんだ言って最初は辛かったものです。




 まず日本国外に出掛けたことがあまりないボクでしたので、出国の時からドキドキでした。中国の航空会社を使ったのですが、添乗員さんや空港の職員さんからひたすらまず中国語で話し掛けられたのは衝撃でした。すかさず”I can’t speak Chinese. I’m a Japanese.”と言うと皆さん驚いた顔で謝ってくれましたが、広州の待ち合いロビーで乗客っぽい人に普通に中国語で話し掛けられたのには本当にビックリしました。
 
 また、中国からアメリカのロサンゼルスまでの便が遅れに遅れて2時間半、入国審査でさらに遅れて1時間と、4時間近くあった乗り継ぎ時間がほとんど消え、荷物も出てこないしターミナルも違うしで、正規の乗り継ぎ便を逃した時は日本へ帰りたくなりました。

 もちろん航空会社が振替便を用意してくれたのですが、その後のピッツバーグ空港到着後の予定が全ておじゃんになった瞬間です。最終的にはどうにかなった訳ですが、いやはや海外は恐ろしい所だな、と出鼻を挫かれた気分でした。


 
 トラブルは続くもので、大学到着後、寮に入ることになっていたのですが、自室へ入る鍵が無いという恐ろしい事態に! 留学生のため、通常の学生より早い入居でした。同室のルームメイトは未だ来ていません。つまり、ルームメイトに便乗して入室することもできないのです! 手元には重いスーツケースとバックパックにウェストポーチ。こんな装備では学内観光もままなりません。ボクはアメリカに軍事訓練をしにきた訳ではないのです。

 しかしアメリカは車社会です。スリッパリーロック大学の国際課のスタッフ(学生)が車で買い物に付き合ってくれると言うので荷物をまとめて積み込み、寮監というかフロアマスターというか、ボクの部屋のある階の取り纏め役が到着するまでの時間つぶしをして無事に解決しました。



 大学生活が始まる前も始まってからもトラブルは止みません。まず学内の地理なんか欠片も分からないのに、当然のような顔で重要な説明会の場所を建物の名前と部屋番号だけで伝えられたのには面食らいました。もちろん配られたパンプレットには学内地図も完備されていますし、簡単な今後のスケジュール表もあったのですが、肝心の指定場所がATSだのARCだのと略称で書かれているではありませんか! 「初めて訪れた学校施設の略称なんて分からない!」 と伝えると、本当に意外そうな顔で「ごめんごめん」と言われました。 

 佐大でも略称で書かれていたりしますが、こちらの建物は専攻など関係なく初代各学部長の名前などが名付けられている為、本当に訳が分かりません。Spottsという学棟があるのですが、スポーツ関係かなーと連想をしたところ、実際は英語学の学部等でした。


トラブルとは別に、環境の違いは痛烈でした。まず寒い。気温が日本より低いので、薄着と薄い毛布しか無い最初の数日は震えながら寝ていました。日中は暖かいのですが、夜が異常に寒かったのです。と思っていたら単に空調が効いていただけでした。気付けば3秒で解決した問題です。

 気温の違いもそうですが、こちらは随分日本と違います。まずやってきた当初のこちらの気温が大体70度前後です。もちろん水が沸騰する30度手前ではなく、ファーレンハイト(華氏)70°Fです。この表示には非常に悩まされました。空調の調節が難しいのです。調べればすぐ分かるのですが、いちいち計算するのも面倒だったと言いますか。距離は当然マイル・フィート・インチ、重さはポンドやオンス、水の量もオンスなどです。流石に時間は時分秒でしたが。「身長どれくらい?」「体重は?」と聞かれた時は自分のことながら「分かりません」と答えることしかできなかったのが悔やまれます。

 度量衡の統一って本当に大事なんだな、と秦の始皇帝を尊敬したのもこの時です。
 





 授業構成は日本の大学よりむしろ高校に似ています。月水木で週50分×3回か火木で週75分×2回の授業が基本となっている為、佐大の授業よりも先生方と会う機会は多いです。それに授業時間も比較的短いため、授業後の時間がたっぷり取れるのも非常に素晴らしいです。遊ぶも良し学ぶも良し遊びに行くも良しと正に自由自在です。もちろんこの時間に予習復習課題等をしなければ次の授業で苦しみのたうつことになる訳ですが、それもまた自由な選択のひとつでしょう。ボクは御免ですが、何度か苦しんだ経験はあります。その度にもう二度と予習を怠らないと誓ったものです。

 若干大げさになりましたが、それくらい授業内容が濃くて、大変よろしい学生生活でした。先生の英語は(例外はありますが)聞き取りやすいのですが、基本的に学生の英語は聞きにくいのも面白かったです。皆早口だし、恥ずかしいのかボソボソ喋るし、そのくせ先生は「今のケイトの話は興味深い。このトピックの実態がよく現れている」とか言うものですから困ったものです。すっぱり諦めるかWhat do you mean?みたいに先生に要約してもらってその場をしのぐことが多々あります。



 休みに対する気前の良さも素晴らしいとは思います。謝肉祭や復活祭などクリスチャンっぽい記念日は家族と過ごす為か、約一週間にも及ぶ休みになるのです。冬休みもまるまる一月はある為、アメリカ内外の旅行や帰省に使えます。その間、基本的に寮からは閉め出されるので、行く宛が無いと非常に困ったことになりますが。



 つらつらと困ったことを中心に書いてみましたが、それくらい日本とは勝手が違う、ということを言いたかったのです。トラブルやカルチャーギャップを書き出せばキリが無いくらいです。それは決して悪いことばかりでは無いと思います。むしろ良いことの方が多かったです。こんなところに戸惑うからこそ自分が今までどうだったのか、日本の生活はどんなものだったのかをはっきりと意識できるようになりました。
 こちらでの生活の方が良いという部分もあり、やっぱり日本の方が食事は美味しいという部分もあり、あるいはどちらも微妙で、むしろこうした方が良いんじゃないかなというアイデアが生まれたりと、内面的に実りのある素晴らしい体験になったと思います。外面的にも相当実ってしまいましたが。

 



 英語と言う言語的な障害もあるにはありますが、別に生活するだけなら大してキツい問題でもありませんし、英語が苦手な人向けのサポートも充実しています。障害と言うなら言語よりもむしろ性格や向き不向きの方が遥かに大きいと思います。ルームメイトとの共同生活というのも向かない人には多大なストレスになるので、決して万人に留学を勧める訳ではないのですが、それでも人生に一度くらい、なるべくなら若い時期に海外での生活を経験するのは非常に素晴らしいことだと思います。少なくとも、それまでの人生観や価値観がガラリと変わるというのは本当です。
 

コメント