「空を見上げて」




佐賀大学医学部医学科4年  
力久哲郎
ある日の夜、急に電気が消え、あたりが真っ暗になった。

「停電」

ミャンマーでは当たり前のこの現象に僕は毎回胸を躍らせて、急いで玄関を出る。そして目の前に広がる光景にハッと息をのむ。

こんな満天の星空を今まで見たことがなかったから。


改めまして、みなさんこんにちは。佐賀大学医学部医学科4年の力久哲郎と申します。私は現在大学を1年休学し、官民協働海外留学支援制度「トビタテ留学JAPAN日本代表プログラム」という制度を利用して、ミャンマーの特定非営利活動法人ジャパンハートという団体で半年間インターンをしています。本日は私が休学に至った経緯やインターンを通して学んだこと等を皆さんに共有させていただければと思います。留学体験記とは程遠い文章であることをあらかじめご了承ください。


1.休学の決意
4人兄弟の末っ子として育ち、才溢れる兄弟の中で唯一取り柄がなかった私は小学6年の頃から親の気を引くために必死に勉強を始めました。将来について悩んでいたころに祖母が息を引き取り、友人が自ら命を絶ち、兄のように慕っていた再従兄弟が亡くなり、多くの生死の場面に遭遇しました。高校時代には東日本大震災の被災地でボランティア活動に励む中、自分の無力感というものを嫌というほど思い知りました。そんな中、将来は「人の支え」になれる存在になりたいという想いが募り、いつしか医師を志すようになりました。


     2012年から毎年気仙沼を訪問】        【市長と対談し東北で見たものを伝える】



将来は地元佐賀に残ってみんなを支えたい、と考えていたのですが、そんな私の脳裏から決して離れることのなかった「国際医療」というキーワード。当時の私は、自分の財を投げうってでも途上国で医療支援を実施し、大勢の「人の支え」となっている医療者に対して憧れを抱いていました。大学5年生になって臨床実習が始まる前に自分の中で将来の方向性を見つめ直したいと思い、4年生後期で休学を決意し、実際に「国際医療」の現場を見に行くことにしました。

2.国際医療の実際
私のインターン先であるジャパンハートは、2004年からミャンマー中部ザガイン地区にあるワッチェ慈善病院で活動を開始し、現在ではワッチェ慈善病院だけでも年間2000件の手術と12000人の診療を行っています。そのほかにもラオス、カンボジアでの医療支援、養育施設DreamTrainの運営や障害者自立支援など、その活動は多岐に渡っています


     【マンダレーにて口唇裂の手術見学】         【DreamTrainの子供たちとの遠足】



私も1カ月に一回ワッチェ慈善病院に行って手術のお手伝いをしたり、学生の視点から公衆衛生問題に取り組んだりしています(詳しくは本人に直接ご連絡ください)が、病棟での業務は想像を絶します。朝6:00に起床して宿舎の掃除をし、8:00から病棟での勤務がスタートします。1日に平均25件の手術をこなしていくのですが、手術の終了時間がだいたい深夜3:00前後、遅い時では朝6:00に手術が終了することもあります。それからまた6:00に起きて宿舎の掃除、この繰り返しが1週間続きます。
こんな中、ジャパンハートの3人の看護師さんとの素敵な出会いがありました。その3人はジャパンハート代表の吉岡医師と行動を共にし、ミャンマー、ラオス、カンボジアの3カ国を常に移動しながら医療支援を行っている方々です。
時に医者さえも凌ぐ卓越した技術を有する彼女たちのことをジャパンハートではエキスパートナースと呼んでいます。歳は自分と少ししか変わらないのに、患者さんと接するときはいつも笑顔で、キラキラ目を輝かせて仕事をしているこの3人の存在に私は圧倒されました。彼女らとジャパンハートで出逢えたこと、一緒に仕事をできたという経験は生涯の宝物です。


    【深夜1時頃にもかかわらずみんな笑顔】        【エキスパートナースの池田さん】



3.過去の自分との葛藤
手術室や病棟で患者さんの前に立っている私は、やるせない想いを抱えていました。

「すでに医学部の講義で習った疾患で治療法は知っている。でも実際の手技が全く分からない」

医学部の講義では一つ一つの疾患の原因から、症状、検査、合併症、治療法に至るまで、莫大な量の知識を頭に詰め込まれます。
しかしいざ現場に立ってみると日本では見ることのない重症化した症例ばかり。包帯の巻き方や抗生剤の調合の仕方なんて習った覚えもないし、忙しい現場の中、習ったはずの薬の副作用すらも忘れてしまっている。
この4年間の医学部の日々、どれだけ患者さんのことを考えて授業を受けていただろうか。授業中に教授が大切と言ったことばかりに執着して、口では偉そうに患者さんのためなどと言いながら、果たして将来医者になって患者さんと接する場面を少しでも思い描くことがあっただろうか。
今のままだと自分は将来患者さんに多大なる迷惑をかけてしまうのではないか。大きな危機感とともに、とてもやるせない想いが沸き上がってきました。ただ1つだけ良かったことがあるとするならば、医学部を卒業する前に気付くことができたということです。これからは将来の場面を少しでも思い描きながら講義に臨むことができます。復学後、自分が何をしなければいけないか、少しずつ理解し始めたのでした。



       【患者さんに将来迷惑をかけないように】



4.大切なもの
話は変わりますが、私は大学に入ってから今までたくさんの活動をしてきました。4年間で海外10か国を旅し、毎月飛行機に乗っては県外の勉強会等でコミュニティを広げ、日本最大の医療系学生イベントMedical Future Fes2014を始めとする、数多くのイベント運営に携わり、日本国際保健医療学会学生部会(jaih-s)の運営委員を務めたこともあります。そして今は休学してミャンマーでインターンをしています。


         【MFF2014の運営委員みんなと】                  【昨年ウユニ、マチュピチュを旅行】



そんなある日、ふと思いました。

自分にとって大切な人は誰か。一生かけて大切にしたいと思える人は誰か。

日本にいた頃と比べて、ミャンマーでは一人になって考える時間が何倍も増えたような気がします。毎日毎日、自分に問いかけ、自分と向き合い、今ではその問いの答えを溢れるようにパッと頭に思い浮かべることができるようになりました。

家族、親戚、そして友達、一人ひとりのことを。

日本で特に意識したことがなかっただけで、自分は今まで大切な存在に囲まれていたことに気付くことができました。自分は大切な人たちに囲まれていて、目に見えない何かで一人ひとりと強く繋がっている。「みんなとまた会う日までに成長したいな」心の底からそう思えたときに、ミャンマーでの生活も少しずつ変わっていきました。
ミャンマーでの生活は,初めは確かに辛かったです。ネット環境は悪く、半年間ずっと冷たい水のシャワーを浴びています。もちろん蛇口から出るのは川の水です。食事も脂っこいものが多く、香辛料も独特で、初めの一カ月は全く食欲が出ませんでした。
しかし心の持ちよう次第でこの世界も大きく色を変えていきます。「成長してみせる」という信念を持ったからにはしっかりと目を見開いて行動していかねばなりません。そうしていると不思議なことに、今まで辛いことばっかりだったのに、目に映る景色も少しずつ煌めきだしたのでした。
今のミャンマーでの生活は、コンパスすら持たず人生という航海に出ているような、そんなワクワクとした気持ちで過ごしています。今ではミャンマー人さながらバスに飛び乗っては飛び降り、屋台ではミャンマー語で食べたことのない料理を注文します。つい先日にはミャンマーで国際マラソン(42.195)に出場し、無事完走するなど、新しいことにどんどん挑戦しています。気づけば人々が必死にひしめき合って生きる、混沌としたこの国のことが好きになっていました。



  【気持ちの持ちよう次第でたくさんの         【ヤンゴン国際マラソン完走メダル】
    この国の良さに気付けるようになる】


初めにミャンマーで辛い時期を過ごしていたからこそ、日本で待ってくれている大切なみんなの存在は一段大きく私の目に映ったのかもしれません。灯りが消え、真っ暗になった暗闇の中で一段と光る星々のようにキラキラと輝いていました。

「また会える日までに成長してみせるから」

何度も自分にそう言い聞かせた結果、今の前向きな自分がここに在るのだと思います。


  【以前住んでいたシェアハウスの仲間】       【かけがえのない大学の同級生】


5.伝えたいこと
①将来の場面を思い描くこと
これは特に医学部生に向けてです。医学部の講義で習う内容は、まだ会ったことのない、ずっと先の将来に出会う患者さんのために勉強するものです。だからといって体験したこともない臨床の場面を具体的に想像しながら勉強するのは容易ではありません。やはり学生にとっては、毎年しっかりと進級して最終的に国家試験に合格する、というのが目に見えやすい目標です。ただあと一歩、ほんのちょっと踏み込んで、少しでも将来の場面を想像しながら授業に臨んでいただきたいのです。

大学を卒業する前に、医者になる前に、患者さんに迷惑をかけてしまう前に。



  【将来患者さんと接している場面を思い描くこと】



②大切なものをもう一度考えること
あなたにとって大切に思える人はどんな人たちですか。ずっと大切にしたいもの、想いはありますか。これらを今パッと頭に思い浮かべることができますか。
もし迷いなく思い浮かんだならば、その想い、もの、人たちを何より大切にしていただきたいのです。私の身の回りでも何度かおこったように、人生にはいつ別れや終わりが訪れるか分かりません。あなた自身も含めて。
そしてもしすぐに思い浮かばなかったのならば、もう一度じっくりと考える機会を持っていただきたいのです。きっとそれはあなたの目に映る世界の色を変え、あなたの行動も変えていくことでしょう。

辛い生活すらもワクワクへと変わった、今の私のように。


 【帰国してまた会うときは必ず成長した姿で】



最後になりましたが今回このような執筆の機会を与えてくださった佐賀大学国際交流推進センターの皆さまに心よりお礼申し上げます。今回の休学も含め、これまでの自分の人生を振り返る大変良い機会となりました。読者の皆さま、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


今日も空を見上げると満天の星空が広がっている。

自分が大切な人たちに支えられていることを思い出し、その繋がりを意識すると世界のどんな場所にいても頑張れそうな、そんな気がしてくる。

明日も一日、笑顔で頑張ろう。
また会える日を楽しみにしながら。






佐賀大学医学部医学科4
力久哲郎
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